【雑記】残虐無比な悪党が仲間になるのは作者の贔屓なのだ

 悪役が味方になる展開あるじゃないですか。
 なんだかんだ手を貸してくれてたりしたあんまり悪い奴じゃない敵が仲間になるの。燃えますよね。
 さて、ここで問題があるわけですが、
 めっちゃあくどいことしたキャラが仲間になるパターンあるじゃないですか。
 あれってそのキャラ好きな作者が道理をねじ曲げて優遇してる、つまり贔屓ですよね。お気に入りだから優遇されてるんですよね。
 そういう我を出して読者にヘイトが溜まってること気づかない人、最低では?

 はい、ここまで全部妄言。


 主人公たちに敵対していて不都合なこと(邪魔、犯罪行為)をやっているキャラがいたとします。
 このキャラが仲間になったとき、ここまで挙げてきたような反応をする人がいます。
「こいつら、主人公たちに対してなにか好感度あげることした?」
 と。
 好感度あげてないから入るべきじゃない、という理屈。
 一件理に適っているようですが、
 そもそも別に事前に好感度を上げる必要などない。
 というのが忘れられているのでした。

 そもそも、悪党の魅力とはなんでしょう? 魅力的な悪党を挙げてみましょう。
 ディオ、シャア、ベジータ、クロコダイル、トグロ弟、吉良吉影、董卓(蒼天航路)……。
 数え切れないほどいるわけですが、彼らに共通することとして、
 悪役は悪役だからこそかっこいいわけです。

 独自の美学や型にはまらない行動をしているなど、善い者側ではできないカオスさが魅力になっているのだから、例に挙げたものを思い返せば主人公たちの好感度をあげるような行動をとっているかといえば、とってないでしょう。(※ものによる)

 つまり、善い悪役の条件に「主人公たちの好感度をあげる」は入っていないわけだ。
 で、彼らが仲間になったとして、嫌か、といえば嫌じゃない。
 むしろ、第三の敵が現れて一時的に共闘することになった……ってシチュがあって、そこで手を組むことになったとしたら、「ドリームタッグ」感ありますよね。
 でも、仲間になってくれそうな好感度あげてくれるイベントが事前にあったとしたらどうでしょう。

 ……ドリームタッグ感、少なくなりますよね。

 そうです。こういうのが魅力的になるのは「絶対に味方にならなさそうなキャラと共闘できるカタルシス」があるからです。
 事前に悪役がフラグを立ててくれていたら興ざめしてしまう。あり得ないことがあり得たという落差が快感になるんですから。
 だからこそ、「主人公たちの好感度をあげていないのに仲間になるなんておかしい」という言葉は妄言になるわけですよ。

 では何故「主人公の好感度をあげてないキャラが仲間になるなんて……」という言説がでてしまうのか。
 これは本人も気づいていないかもしれませんが。
 主人公ではなく、当人(読者、プレイヤー)の好感度をあがってないから盛り上がらないのです。
 つまり正確には
「俺の嫌いなキャラを仲間にするな!」
 にすぎないのです。
 が、これをそのまま言ったらみっともない。もしくは、感情移入しすぎて主人公の好感度をあげる必要がないことに気づけていないんですね。

 ここまでを要約すると、
「サドロリビッチにグチャグチャにされる男を見るのはチンチン勃起するんだから主人公に好意的じゃないキャラが仲間になるのくらいなんもおかしくないんだよなぁ! なろう小説でも読んでろ!」
 という内容でしたとさ。
 ※ここで言う「なろう小説」とは批判の意味ではなく、自分に適したジャンルを接種しましょうという意味。たとえばサツバツとした物語が見たいのに日常系見る人はアホですよね。ジャンル違いに出しゃばるようにしないようにしましょうということです。

 なんでこんなの書いたかというと軌跡シリーズというゲームにシャーリィ・オルランド(竹達彩奈)っていう戦闘狂(元)ロリビッチがいて終始状況を引っかき回すサイコキャラがいるんですが、「こんなん主人公(orプレイヤー)の好感度あげるようなことした? クズじゃん」という阿呆草士郎時貞な発言を見てしまったからなんですよね。
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 クズで狂った行動をとるのがかわいいキャラが良いのにそれをプレイヤーや主人公への好意がなければ容認できないとかおチンポオラつかせてんじゃねーよ!
 っていう愚痴をこめただけの記事ですゾ。
 サイコパス美少女に嫐られて成仏したいを心情にしていけ。



2018/06/22 01:31 | 雑記COMMENT(0)  

【雑記】魔女集会に見るインターネット放火魔の生態

インターネット放火魔とは


 特に問題がでてない祭りにさえ放火しに行こうとする者たちの総称
 主にTwitter上に常に一定数存在する。
 インターネット上に存在する有識者のように扱われる人間とは似て非なるものであるが、
 彼らを殴り棒として使い、なにかを罵倒したいが自分がリスクを負いたくない、という人間のスポークスマンとして利用される。

 インターネット放火魔は、インターネット名言言いたがり病を併発する可能性が高い。
 インターネット放火魔の特徴は、なにがしかに対してフェミニズム論など、
 そのとき話題になっているデリケートな社会的問題や人間の心理的感情に言及し、
 対象を罵倒する。

 例……「このジャンルの男性or女性は男性or女性にとって都合よく描かれている」「これを現実でおこなえば、ただの毒親である」

 インターネット空想科学読本フォロワーもどき、とも言う
 インターネット放火魔は、このように他人の心理面を「解読」したがり、オタク的な気質の塊のようなものであるが、何故か本人たちは一般的オタクをキモオタと蔑む傾向がある。

 この「解読」癖から、インターネット有識者と同一視される場合があるが、後者は実際に「問題がある」という結論を説明するために「解読した理論」を説明するのに対し、後者は「問題があることにしたい」ので「その結論に誘導できる理論」を結果的に提唱することが多い。

 覚えておきたいのは、「理論が誤謬であったから間違った結果」になったのではないということだ。その場合、あくまでその時は誤解してしまっただけの人である。インターネット放火魔の場合は、まず「物申したい」という欲求が存在する場合や、「気に入らないので難癖をつけたい」などの「対象を問題視したい」という「別の目的」があることだ。この「別の目的」を自覚しているか、無自覚であるかは当人次第である。

 そのため、彼らの提唱する理論は「注目を引くために過激である(断言口調が多い)」、「自分が批判しているものを受容している人間の内面に批判的である」ことが多い。

 何故このような言葉遣いになるかといえば、彼らがインターネット名言言いたがり病を併発しているからである。要するに、「短文でなにかを斬り捨てることで的を射たことを言いいたい」場合があるからだ。インターネット放火魔はマックの女子高生になりたいのである

 が、インターネット放火魔という名の通り、彼らは自分が放火し、その火を指さして「このジャンルは危ない!」と言いたいだけなので、彼らの言論には「なにかそれっぽいことを言っているが、別にそれだけ」以上のものはない

 基本的に、放火しようとした物(ジャンル、話題、思想)に対して深い思索をしていないがために、罵倒している対象たちの共有している「常識、前提条件」の内容を類推することが出来ていない傾向がある。彼らは多くのことに噛みつくので、ひとつの物事を深く考えないのだ。そのため、対象にガソリン(=フェミなど汎用的な問題)をまいて放火(=罵倒)するのである。

 放火された側からしたら「なにも理解していないし、しようともしてないのに、何故か高笑いしている変人」でしかなく、「風俗で説教をするおっさん」とさしたる代わりはない。

 インターネット放火魔の悲劇は、そういった自分の言論を持ち上げる、拡散する人間がいることである。彼らもなにかムカつくものがあり、それを罵倒したいが、自分の言葉ではリスクがあるので、インターネット放火魔を代弁者として利用するのである。
 嫌いを主張するだけならなんの問題もないのに、そのリスクも避けた、しかし利口なその他大勢によって、インターネット放火魔は今日もTwitter上で炎の中で踊り続けるのだ。



2018/02/17 00:43 | 雑記COMMENT(0)  

【雑記】「ロリババア」と「のじゃロリ」は別物だって言ってんの!!!

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ロリババアとのじゃロリってなに?

最近、「ロリババア」や「のじゃロリ」というジャンル名を見かける機会が多くなったように思う。
ロリババア専門誌「永遠娘」の登場や、Twitterやニンジャスレイヤーでの登場。
数多の媒体において「古風な口調で喋るロリ」が頻出した。

で、あるが、そういったキャラクターをどう呼ぶか、掴みきれていない人が散見される。

「ロリババア」と呼ぶ人や「のじゃロリ」と呼ぶ人。
中には「のじゃロリババア」と言う人までいる。

これを単なる表記ブレと思う人もいるだろう。

違うのだ!!

ロリババアとのじゃロリ、これはまっっったくの別物である。似て非なるものである。
美少女と男の娘くらいに違う。
では、この両者の区別をどうするのか。
この記事においてはこれら「古風口調ロリ」を明確に区別する基準を、実際の例を交えながら解説する。

のじゃロリとは

のじゃロリとは、端的に言えば「のじゃのじゃと老人口調or現代の感覚では見た目分不相応に見える口調で喋るロリ」である。
ポイントとして、「ロリが尊大な口調で喋っている」ものだ。

ロリババアとは、

「ロリor年若い姿であるにも関わらず、実年齢は数十~数千、数万歳の老人」であるキャラクターである。
ポイントとして、「外見と内面の不一致」という点である。

……おわかり頂けただろうか。
のじゃロリとは、「外見と口調がセットになって」成立する属性であり、
ロリババアとは、「外見と内面がセットになって」成立する属性である。

似て非なる別物!!!

のじゃロリはロリである必要があり、ロリババアとはババアである必要がある。
この時点で両極端な性質を持つ両者が重なり合うものがないことは、説明されれば誰しも明快に理解できるだろう。
これを同種と呼ぶなら、「美少女も男の娘も見た目は美少女だから同じジャンルだよね☆」と宣うようなものである。

で、あるのに、のじゃロリとロリババアが混同される要員として、外見と科白だけ見たら区別がつかない点にある。

ロリババアとは、前述の通り、「老人」である。老人であるから、それを分かりやすく表現するために、口調を現代人と異なる設定にすることが多い。そのため、古風な口調になるパターンが非常に多いのだ。

こうなると、喋っている姿だけを見たら、結果的にはロリババアとのじゃロリは区別が難しい!

これはロリババア、のじゃロリ好きからしてみてもゆゆしき問題で、ソシャゲなどにのじゃのじゃ喋るロリが出てきたら、

「これはロリババアか……? それとものじゃロリか……!?」

という考察、不安、葛藤と戦うことになる。口調の端々からロリ味を感じ取ったり、ババア味を感じとったりして推理していくことは日常である。

ちなみにゲーム中ではロリババアだなこれは! というキャラクターも設定資料で「口調が古風なだけで実年齢は見た目相当です」と言ってきて「千年戦争アイ○スこのやろおおおおおおお!!!」としてくるパターンもある。「アニラあああああああ!!!」のパターンもある。グラブルはスカーサハ様いるから許したよ。

分かりやすい指針としては、年齢もあって精神性も伴っていればロリババアだなと判定できるのだが。
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参考画像:アズールレーン。
スキル名が「歴戦の躯」という経験=外見不相応の単語であり、科白が見た目とは対称的な老獪さのあることから「ロリババア」と判定できる。公式のテキスト的にも高齢推しで、性能面も他のレア駆逐艦とは異なる性能を持っていることから、ロリババアの特殊性を表現していると受け取れる。
ユーザーのwikiが「のじゃロリ」と書いている(執筆当時)がこの記事にある通り混同されてしまう不幸な事故のせいだ。

で、あるため、「ロリババアとのじゃロリの区別がつかない」という問題に関しては、この属性の難解性故であるので仕方ない面がある。

ここで、「のじゃロリババア」というワードを見よう


ここまで読まれた方なら、改めてこのワードを見たら首を傾げるだろう。

「のじゃロリババア」

なんだそれは。

マジでなんだ!!

これは、筆者がメロ○やとら○あななど同人誌を取り扱うサイトで、実際に見たものである。
サークル側ではなく委託されたそれらショップ側の担当がつけた紹介文という名の怪文書に記載されていた。

好意的に見れば、「のじゃのじゃ言うタイプのロリババア」を示す言葉かもしれないが、そもそものじゃのじゃ言うロリババアが多くを占めるジャンルで区別する意味はないし、ただでさえ「ロリババアとのじゃロリ区別つかない問題」があるなかで新しい区分を造る意味も薄い。

単なる悪のりや不勉強で使っているとしか思えないものである。親父ギャグにすらなっていない「とりあえず語尾と文頭が同じ文字だから繋げてみました~」感溢れるワードになってしまうのだ。


まとめ

このように、「のじゃロリ」と「ロリババア」は、明確に別物である。
昨今、以前より露出が増えてきた当ジャンル。
のじゃロリババアなるおかしな言葉を生み出さないように、
是非その区分を脳内の片隅にでも置いて頂けると、
ロリババア好きとしてはうれしい。


2017/12/15 13:42 | 雑記COMMENT(0)  

【雑記】【FGO】水着イベントのアラフィフとフランちゃんとバベッジ超☆最高

 2017年水着イベントのアラフィフ超かわいい。パパと呼ばれて舞い上がっちゃう犯罪の帝王超かわいい。
 フランちゃんかわいい。しゃべれるようになったら実は小悪魔チックでアラフィフを手玉にとっちゃうのかわいい。
 バベッジかわいい。保護者枠でかわいい。

 他の組み合わせやわちゃわちゃした会話もネロ祭り以来の交流系面白さだなー、と重いながら読んでました。いいっすね、2017水着イベント。

 ただまあ、類に洩れず主語のでけーやべーやつが大暴れするのが世の常。

「アラフィフのこの扱いのされ方、アラフィフ好きの人は辛いだろう」

 うるせえ。寝ろ。

 さて、そんなわけでフラン組でやべーやつをチラホラ見たので言及してみる。

 フラン組が一部で不評な理由があります。
 というのも、

1.アラフィフが怪しい見た目のおじさん、という部分をピックアップされてパパとして舞い上がる

2.「ぱぱ」と呼んで意図的に利用しながらも、「ぱぱそんなに好きじゃない」と切って捨てる小悪魔系キャラとしてのフラン

 主にこの2点。

 特にいえば、これのひとつ前であるリヨイベでアンデルセンがこういってたのもまずかった。

写真 2017-08-11 5 05 40 
 この言葉を都合良く解釈して都合良く批判を正当化するために使われたのが今回の案件である。うーん。

 まず項目1、アラフィフについて

 アラフィフは悪の教授です、そんなアラフィフが父親としての役目に目覚めるのはFate的に考えて面白いクロスオーバーなので問題ない。
 としても、アラフィフがパパと呼ばれて喜ぶのは「見た目だけをピックアップした安易なキャラ付け」であり、アンデルセンの台詞をなにもわかってないとされてしまう。

 まあ寝言ですけど。

 そもそも、アンデルセンは「自分という存在の外見だけピックアップされて二次的(=二次創作)に付加されたテンプレ化に怒った」のであって、一次創作におけることには言及していません。イベントは二次創作か? ライターは違うとしても公式がやってる限り一次創作です、本当にありがとうございました。

 項目2、フランについて。
 性格が悪い、倫理的におかしい、こんなこと言うなら最初から喋らなければよかった。
 もう本当にゲームクライアント落として寝たらいいと思います。寝ろ。

 まず大前提として「娯楽の内容を非難をするときに倫理」を持ち出しているときは疲れている自分は嫌いです、という意見に正当性を持たせて客観的に見ても間違っているとしたいときに使う脳死ワードです。一般化を他人に求めているだけです、寝ろ。

 当たり前の話ですが、倫理を盾にするなら、娯楽には言及しなくてはいけない問題が山ほどあるわけなので。

 「無論人殺しをしたのは事実なので○ー○ィ○は許されないし、カニファンでしょっちゅう酷い目に遭うアニキは不謹慎」と怒りまくらなければいけないので、娯楽を楽しんでいる人間である時点で、理由に倫理を持ち出している時点で感情を論理で制御してない人間にありがちです。その時点でダメ。非難の言葉としては下の下です。

 もし倫理的に反していることをしているのに「好き」「許せる」「これは別にいいじゃん」と思うものがあったとしたら、「それは貴方の感情に由来するものであり、倫理的にダメと非難する際に例外指定されるものじゃないです」としか言えないわけです。要は倫理を理由にする時点で、ダブスタにならざるをえないわけです。

 その言葉はあくまでも他の理由があり、それを補足して使うならともかく。

 そもそも、娯楽っていうのはオナホールですので、誰かの欲求を満たすものです。オナホールを使ってる人の姿はみっともないですよね? 嫌悪感を生みますが、でも本人は気持ち良いのです。このように、「娯楽は絶対に需要する人間と嫌悪する人間に別れます」。例外はあります。だからといって嫌悪感を持つ人間を無視していいのかといえばそうではないのですが、「娯楽とはそういうものである」とは理解しておいた方がいいでしょう。

 にたことはこの記事でも言及しました。

【雑記】ジャンプ漫画は本当に災難だしそも娯楽ってそういうもんだよねという話


 もっとも、倫理に背くだけ背いてなんの意味も面白みもないものは「悪趣味」ですが……。

 フランに関しては違いますよね。おじさんを手玉に取る小悪魔系の一面もある、といった面が今回披露されただけですね。もちろん、そういうキャラが嫌いというのは構わないですが、だからこのキャラ付けはダメだと言い出したら終わらないものです。
 そもそも年頃の子がワガママじゃなきゃなんだってんだよ例え悪しき面があっても善い面がある事実にかわらねえだろ、小悪魔面があるからってバサカの時素朴な少女行動を真っ直ぐ見れないってなったらそれは貴方の精神が幼い。

 こんなキャラにされるくらいなら喋らない方がよかった、なんて手合いは本当にダメすぎる。「自分の想像と違った相手だったのでダメ」なんてあらゆる意味でダメでしょう。ここで「公式に間違った描写をされている」というのは甘えです被害妄想と呼ぶ。

 そもそも、どれにも共通するのは「自分のイメージと違う」を公式に言ってしまっていることです。

 公式が違うのではなく、あなたの解釈が違うのです。

  公式も二次創作に過ぎないので数多の解釈のひとつに過ぎないというものもありますが、解釈は自由だが別に貴方の解釈を公式が遵守するかは別です。それを求めるな。そもそも言葉を信じるならばそもそも公式の供給なぞ期待しなければよい。なのに期待して「これはおかしい!」というのは、あまりにも幼稚にすぎる。

 そもそも、「自分がこう思ったからこういうキャラに違いない!」というのは、それこそアンデルセンの体を蝕む呪い、それを放っている人々と同じわけです。無辜の怪物の元凶。批判をしている当人たちが既に例に挙げたアンデルセンを苦しめる人々と同種になっているのだから語るに落ちる。

 誤ったキャラ解釈を公式でされている!

 ではない。

 今まで描写される機会がなかっただけでこういうキャラなんだよ。
 別の会社が版権を運営してるんじゃないんだから。

 こういう描写がされたからつまりこういうことなのか、と判断材料のひとつにして考えるなりをするだけでなく「これまでの自分の考えと違うのでダメ」とするのは、
 二次創作のお為ごかしを信じ込みすぎた人間の妄言でしかない。

 でもその設定を採用すると自分は嫌いになる、とか問題がでるならそれは自分の中で解決するものであって、「なんでこんなことも気づかないの? 当たり前のことじゃん!」なんて被害妄想に甘えるのは、いい大人がしていたら本当にかっこわるいぞ。

 こういうことを言う人、本当に倫理観とか○○イズムとかを持ち出して批判するので、完全に娯楽を需要するのに向いてない気がするんですが、演出論や扱いを○○イズムとかでテンプレ化する批判は本人が一番語るに落ちてるのだなぁ。

 なにが言いたいかというと、自分の想像と違うからって自分の考えが当然とばかりに怒り散らして雑な論理で自分の意見が正しく公式の扱いは誤ってる!
 なんて妄想、まき散らすとヤバいんじゃねえの、ってことでしたとさ。

 そもそもギャグシナリオという前提、起承転結の起の部分である、ということを考えずにこんな爆発の仕方するの。FGOがキャラゲー的側面があることを差し引いても他人を舐め腐って侮辱してるし、そのくせキャラやリベラル、差別的な意図に怒りますといっておきながら本人がマジで一番ダメなのどうなんだろうね。
 ちなみに「ギャグなら他人を笑いモノにしてもいいのか」とか予想される面倒なツッコミも記事中に出した別記事で言及してるのでよろしく。
 書いてもない言葉を「つまりこうともいえる」「言外にこういってる」と悪しき側面を作り上げて怒ろうとするならSNSに向いてないです。(短文で全部にフォローをまわした発言なんてできるわけないだろ!)ちゃんと訪ねてみましょう。
 お わ り。

2017/08/11 05:50 | 雑記COMMENT(0)  

【雑記】ジャンプ漫画は本当に災難だしそも娯楽ってそういうもんだよねという話

※エロゲ批評サイトなのに久々の更新が雑記な駄目エロゲーマーの鑑。


ゆらぎ荘は本当に災難でしたね。

……と思うものの、
今回の話題で、創作における思想のお話が燃えましたね。いつも燃えてるけど大きく炎上したという意味で。

自分がそう思ったのは、「ゆらぎ荘」そのものでなく、その作品を弁護する(もう擁護という単語自体が煽りワードになるほど多用されたので代用)する意見のひとつ。

「主人公は良い奴だから大丈夫」

ん?

なんで主人公が良い奴だから、お色気展開が許されるのだろうか。
このマンガの主人公は確かに良い奴であろうし、スケベも不可抗力なのだが、
それって全部言い訳なのである。

ラブコメの定めなのだが、現代を舞台にして、貞操観念が現代に即している以上、
ラブコメって不誠実に読者の欲求に寄り添っているものにならざるを得ないのである。

けれど、ここで主人公がド外道であったりすると、人によっては罪悪感を覚えてしまう。
この不誠実さと歪さを自覚してしまい、不快感を覚えてしまうのだ。(おそらく、異世界転生ハーレム物を受け入れられない人にも、こういう心理があると思われる)

「主人公が良い奴なら、こうなって当然だ」
「こんなに良い奴なら、惚れられても違和感はない」
「良いことをしたら、好かれるだろう」

これらは、ヒロイン、女性側の立場にたっているようで、
その女性の立場を軽視している考えといえる。

で、まあ。
ここまで書いた結論として。

でもそれで何が悪いの?
悪くないじゃん。多分。

ということである。

うん、ラブコメマンガにこういう思想や前提があったとして、作者や読者に問題などあろうはずがない。まったくない
なので途中まで読んで「は?」となった人。別に怒らなくていい


なんで悪くないかというと。

そもそも、創作品や娯楽なんてポルノだ。ポルノだから、他人の欲求を満たすためにあるべきもので、それが恥じ入ることのない役目だからである。
そして、他人の欲求を満たそうとすると、必ず他人の欲求と反目する。ドS向け作品はドMにとっては不愉快である。

ただ、それは絶対に出来うるものだ。そういう瑕疵はどんな作品であれ特定対象に向けて発信している以上存在するものであって、それは良い悪いの問題ではなくあって当たり前のものなのである。

なるほど、ゆらぎ荘やラブコメ、そういったジャンルには、指摘された問題点の土壌がある。
だが無意味だ。

人間はクソをするので汚いというレベルの話だ。
どんな主義主張も内側にはクソが溜まっている。その当たり前のことを指摘し、クソの内容物を解説するのも勝手だが、だからといってクソを貯めた存在そのものの否定には繋げられない

なので、娯楽そのものが快楽を満たすためのオナホール的ジョークグッズという自覚がないままに思想の話を持ち出すと、ただ当事者たちの領域とは別のところで砂糖菓子の弾丸を撃ち続ける「なにか意識の高い人」になりかねないのである。



「それはつまり、誰かが我慢することを許容しろということか?」










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(c)違う、そうじゃない/鈴木雅之 (P)1994 Epic Records Japan Inc.



確かに、無自覚に男性上位の思想を「女性に配慮している」と受け取ってしまう土壌ができているなら問題だろう。けれど、その問題と「某かを軽視した作品が存在する」のはまた別の話だ。この世に誰かを虐げない作品などない。死なない人間がいるのと同じようにその点を自覚するべきなのである。

たとえば、洋画は、確かに誰かの権利や差別表現を尊重したうえで面白い作品になっているものもある。国内がそのままでは外国にグローバルな環境では置いていかれる。なるほど真理だ。けれど、だからといってそれが非難の手段になることはない。

だって俺は外国産より国内産のものが面白いと思っている。

これが総てである。

作品は、尖っていれば、狙い打ちであればあるほど、大勢からは嫌悪されるが少数から賞賛される。
よって、「出来うる限り多くの人の権利に尊重して面白い作品」と「某かの権利を害しているが、面白い作品」があるとして、前者は上位互換ではなく別ジャンルの作品と考えなくてはいけない

誰かを軽視せず同じ内容を書けるだろう、書けないのは技術がないからだと思う場合もあるが、そのセーフティーがない開けっぴろげなのが逆に刺さるところもあるのだな。
だから、前者の面白さでは後者の面白さの代替にならない。これを「幼稚な精神だから後者のものを面白く感じる」「そんなものばかり見てきたから」と「他者批判」に逃げるの勘弁な。
(そして、そういった〝理性を欠如したマイノリティの代弁者〟は、得てして不特定多数のスポークスマンとして利用される。自分を矢避けかもしれないと疑っていてなお言えるならそれでいい)。

受け手側や社会の側の思想の中に問題はある。
そして、表現の自由という便利な言葉で弁護できない悪意ある作品や二次被害の懸念されるものもある。「表現の自由」という万能の殴り棒を手にして意思疎通を執る前に嘆く人間もいる。なにより「実際にある問題点を指摘しても、読者がそれから目を背けることで誰かの権利を害する」問題もあるだろう。

が、やっぱりそれは「ゆらぎ荘」など特化した某かの作品の話とは別の話。別の問題。
何事も「大枠」の中で枝分かれした小ジャンルが存在し、
それらは一般化せず別個で語るべきものである。
別個で語ろうとしても一緒くたにされる場合は単に説明が下手か信頼がないか、無駄に他人を煽った場合であろう。

侮辱してくる相手の話とか、誰も戯れ言としか思わないしなぁ。
表現するとは何事も大変ですな。

そんなわけで、作品の難点には自覚的であり、かつだからどうしたの精神で見ていきましょうね。




2017/07/11 02:01 | 雑記COMMENT(0)  

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