素人にありがちなただ悲惨なだけで逆に悲惨じゃなくなっているお話

悲惨な話の方がリアルなんだ!
主人公が報われるなんてご都合主義なんだ!


ありますよね、悲惨な話の方がリアリティがある、という考え。
で、そういった〝やさしい世界〟とは反対に、わりと見かけるのは〝悲惨なだけの世界〟です。

というわけで、世の中にある「不幸な設定を満載にした結果、別に不幸じゃなくなってる支離滅裂な世界観」の話です。

悲惨なだけの話とは、書いてそのまま、不幸なこと、理不尽な現実、重い話にしかならない状況のことです。
例を挙げるとちょっとあらぬところに飛び火しそうなので避けますが、
要素だけを切り出すとファンタジー物なら「陵辱」「暴力」「理不尽な悪党」「奴隷」等々ですか。

もちろん、それらひとつひとつの要素は現実として起こり得ますし、リアリティという面において必要ですが、
素人は(というかまあ悲惨な話が好きな人は)こういった設定をひたすらまして、悲惨さしかない話をするわけですね。

こういった作風とディストピア物は違うものです。ディストピア物は悲惨な、閉塞感ただよう世界での話ですが、
そういった物と決定的に異なるのです。
ディストピア物はそうなった経緯や過程があり、世界として成立しているのに対し、悲惨なだけの話はキャラクターや登場人物を悲惨にしたいがために矛盾が生じまくり、謂わば〝不幸のご都合主義〟とも言える状況ができあがっています。

都合良くキャラクターは不幸になり、都合良く理不尽に強い敵が登場し、都合良く追い詰められ、都合良く死に、都合良く悪党が栄え、都合良く悲惨な話ができあがるのです。

これを逆にすると、ご都合主義と非難される作品になるのは明白です。しかし、これを逆にしただ不幸なだけにするとあら不思議、世間の人はこういうのです。〝リアル〟だ、と。

そんなわけないじゃんね。

目の前の敵が流れ弾で死んだらご都合主義、
主人公が流れ弾で死んだら戦場のリアル。

こういった、〝不幸のご都合主義〟をリアリティある作風だとして実行する人は、
特にアマチュアの創作でよく見かけることになるかと思われます。

「世間で重いと言われてる作品より悲惨な世界観できたよー」
と言われて出される世界観が、ただ支離滅裂なだけで絶望しかない話だと、ああ、不幸なこと考えられる自分すごいとでも勘違いしているのかな、とゲンナリします。
だいたいが善人は悪党の食い物にされ、女はことあるごとに陵辱され、とにかく悲惨に死ぬのです。

「魔王を倒して世界を救った英雄を一般モブ兵が殺しまくるぞー」←それなら最初からモブ兵で魔王殺せないの?
「村の生死に関わる敵を(依頼者の説明不足故に)殺し損ねた女冒険者を村人で犯す!」←そんなことできるほど強い村人が戦えばよかったのでは? っていうかそんなことしてる暇あるの? 
「伝説となるほど強いキャラを伝説殺しと呼ばれるキャラで倒して犯すぞー!(二次創作)」←完全に最低系SSの文脈だ……。

ただただ〝不幸にする〟という方向性だけを重要視しているので、〝不幸なものならなんでもいい〟というつまりは愛好者以外が見ると、「あ、そう」な凡庸なだけの代物ができます。
これがリアリティあると思われてるからタチが悪いというべきか、不幸なのがリアルと考えられてしまう現実が悲惨とでもいうべきか。

実際、ひたすら不幸にしたいわけではなく、重い話が作りたいのなら、希望がなければ絶望は輝かないということを知るべきでしょう。
バトルロワイヤル物がすごいのは、勝者がいるからです。戦っても負けても絶望しか待っておらず、勝つと負けるとなにもしないが結果的に同列に扱われている時点で、特別不幸ではないです。少なくとも、勝者がいるバトルロワイヤルに絶望感で優越するものではまったくないです。

何故なら、生き残りのために他人を殺さなくてはいけない、知り合いを殺さなくてはいけない、そんな希望と絶望のカタルシスが存在しないのだから、当然です。希望のある世界での絶望は絶望であり、絶望しかない世界での絶望は〝普通〟です。その世界では絶望的なのは普通のことなのだから、人が死んでも「ふーん、まあ死ぬよね」で終わりです。希望のある世界なら、人が死にそうになったら「待って待って死なないで」となる。だから死んだときに絶望感がある。当たり前の話です。

要は不幸が好きなだけの人が書いた悲惨な話は面白くないので、どこが要点かわかってねーのは不幸な話自慢のドヤ顔がちらついてダメだな、というだけの話です。

2016/04/05 14:07 | 雑記COMMENT(0)  

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