【雑記】ジャンプ漫画は本当に災難だしそも娯楽ってそういうもんだよねという話

※エロゲ批評サイトなのに久々の更新が雑記な駄目エロゲーマーの鑑。


ゆらぎ荘は本当に災難でしたね。

……と思うものの、
今回の話題で、創作における思想のお話が燃えましたね。いつも燃えてるけど大きく炎上したという意味で。

自分がそう思ったのは、「ゆらぎ荘」そのものでなく、その作品を弁護する(もう擁護という単語自体が煽りワードになるほど多用されたので代用)する意見のひとつ。

「主人公は良い奴だから大丈夫」

ん?

なんで主人公が良い奴だから、お色気展開が許されるのだろうか。
このマンガの主人公は確かに良い奴であろうし、スケベも不可抗力なのだが、
それって全部言い訳なのである。

ラブコメの定めなのだが、現代を舞台にして、貞操観念が現代に即している以上、
ラブコメって不誠実に読者の欲求に寄り添っているものにならざるを得ないのである。

けれど、ここで主人公がド外道であったりすると、人によっては罪悪感を覚えてしまう。
この不誠実さと歪さを自覚してしまい、不快感を覚えてしまうのだ。(おそらく、異世界転生ハーレム物を受け入れられない人にも、こういう心理があると思われる)

「主人公が良い奴なら、こうなって当然だ」
「こんなに良い奴なら、惚れられても違和感はない」
「良いことをしたら、好かれるだろう」

これらは、ヒロイン、女性側の立場にたっているようで、
その女性の立場を軽視している考えといえる。

で、まあ。
ここまで書いた結論として。

でもそれで何が悪いの?
悪くないじゃん。多分。

ということである。

うん、ラブコメマンガにこういう思想や前提があったとして、作者や読者に問題などあろうはずがない。まったくない
なので途中まで読んで「は?」となった人。別に怒らなくていい


なんで悪くないかというと。

そもそも、創作品や娯楽なんてポルノだ。ポルノだから、他人の欲求を満たすためにあるべきもので、それが恥じ入ることのない役目だからである。
そして、他人の欲求を満たそうとすると、必ず他人の欲求と反目する。ドS向け作品はドMにとっては不愉快である。

ただ、それは絶対に出来うるものだ。そういう瑕疵はどんな作品であれ特定対象に向けて発信している以上存在するものであって、それは良い悪いの問題ではなくあって当たり前のものなのである。

なるほど、ゆらぎ荘やラブコメ、そういったジャンルには、指摘された問題点の土壌がある。
だが無意味だ。

人間はクソをするので汚いというレベルの話だ。
どんな主義主張も内側にはクソが溜まっている。その当たり前のことを指摘し、クソの内容物を解説するのも勝手だが、だからといってクソを貯めた存在そのものの否定には繋げられない

なので、娯楽そのものが快楽を満たすためのオナホール的ジョークグッズという自覚がないままに思想の話を持ち出すと、ただ当事者たちの領域とは別のところで砂糖菓子の弾丸を撃ち続ける「なにか意識の高い人」になりかねないのである。



「それはつまり、誰かが我慢することを許容しろということか?」










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(c)違う、そうじゃない/鈴木雅之 (P)1994 Epic Records Japan Inc.



確かに、無自覚に男性上位の思想を「女性に配慮している」と受け取ってしまう土壌ができているなら問題だろう。けれど、その問題と「某かを軽視した作品が存在する」のはまた別の話だ。この世に誰かを虐げない作品などない。死なない人間がいるのと同じようにその点を自覚するべきなのである。

たとえば、洋画は、確かに誰かの権利や差別表現を尊重したうえで面白い作品になっているものもある。国内がそのままでは外国にグローバルな環境では置いていかれる。なるほど真理だ。けれど、だからといってそれが非難の手段になることはない。

だって俺は外国産より国内産のものが面白いと思っている。

これが総てである。

作品は、尖っていれば、狙い打ちであればあるほど、大勢からは嫌悪されるが少数から賞賛される。
よって、「出来うる限り多くの人の権利に尊重して面白い作品」と「某かの権利を害しているが、面白い作品」があるとして、前者は上位互換ではなく別ジャンルの作品と考えなくてはいけない

誰かを軽視せず同じ内容を書けるだろう、書けないのは技術がないからだと思う場合もあるが、そのセーフティーがない開けっぴろげなのが逆に刺さるところもあるのだな。
だから、前者の面白さでは後者の面白さの代替にならない。これを「幼稚な精神だから後者のものを面白く感じる」「そんなものばかり見てきたから」と「他者批判」に逃げるの勘弁な。
(そして、そういった〝理性を欠如したマイノリティの代弁者〟は、得てして不特定多数のスポークスマンとして利用される。自分を矢避けかもしれないと疑っていてなお言えるならそれでいい)。

受け手側や社会の側の思想の中に問題はある。
そして、表現の自由という便利な言葉で弁護できない悪意ある作品や二次被害の懸念されるものもある。「表現の自由」という万能の殴り棒を手にして意思疎通を執る前に嘆く人間もいる。なにより「実際にある問題点を指摘しても、読者がそれから目を背けることで誰かの権利を害する」問題もあるだろう。

が、やっぱりそれは「ゆらぎ荘」など特化した某かの作品の話とは別の話。別の問題。
何事も「大枠」の中で枝分かれした小ジャンルが存在し、
それらは一般化せず別個で語るべきものである。
別個で語ろうとしても一緒くたにされる場合は単に説明が下手か信頼がないか、無駄に他人を煽った場合であろう。

侮辱してくる相手の話とか、誰も戯れ言としか思わないしなぁ。
表現するとは何事も大変ですな。

そんなわけで、作品の難点には自覚的であり、かつだからどうしたの精神で見ていきましょうね。




2017/07/11 02:01 | 雑記COMMENT(0)  

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